作:木立早手之上(翻訳:苔埜)
お前らの安寧が 貪戻と蛮行に
支えられたものではないと
どうして言えよう
目の前に広がる天命の徴(しるし)眺め
引くも引かぬも気分次第と
放埓のリベルタン
創世からの邪な習わしを
どうして今 やめられるだろう
見るも無惨な屍が
お前の安楽安寧の防塁となったのだ
お前らのつまみ食いが 挫滅と扼殺を
招いているわけではないと
どうして言えよう
二度とあってはならぬと託つ手練の訝しさ
災禍に遭ったらしき己を
忘れてくれるなと
創世からの邪な習わしを
どうして今 やめられるだろう
見るも無惨な屍が
お前の安楽安寧の防塁となったのだ
お前らの安寧が 貪戻と蛮行に
支えられたものではないと
どうして言えよう
言えない
作:木立早手之上(翻訳:苔埜)
閃きは熱狂と センチメントは慄きを
平定は猜疑と偽証を
誇りは僭称(せんしょう)を伴うだろう
欺き続けるポリティシャン
真贋綯い交ぜのペダントリー
固陋(ころう)の民よ己を疑え
嘘話(つくりばなし)に耳を傾けるな
思いつきに拝跪し 偶さかの気分を貴ぶ
浅薄(せんぱく)と怯懦(きょうだ)に耽っては
扇動と争乱に導かれるだろう
暴かれた欺瞞に目を背く
瀰漫(びまん)し続けるピュエリル
固陋の民よ己を疑え
耽溺(たんでき)することなかれ
全ての教条に耳を傾けるな
彷徨う己を疑え
齧っし戯曲「暗渠への逃走」概要と解説
古代齧っし作家の木立早手之上 [こだちの はやてのかみ] による戯曲「暗渠への逃走」は、口頭伝承の多い古代の齧っしには珍しく、断片的に文献が残されている齧っし界に伝わるいわゆる神話の一つです。
木立早手之上の直筆とされている貴重な原作の紙片
この物語は、同郷の智徳の白原(しらはら)を一方的に妬む、臆病な為政者破文(はもん)の跋扈によって荒んだ世から幕を開けます。貪戻(たんれい)と蛮行が蔓延り、疫病、似非科学、邪教、嘘話によって惑わし惑わされる民の姿は哀れなものでした。そうした世にあってなお、智徳の白原とその仲間たちが世間と距離を取り齧っしの品格を保っていることが気に入らない破文は、破落戸共を差し向け白原の許嫁貴美(きみ)を拐(かどわ)かすなどの悪行を重ねます。しかし智徳の白原は都度危機を切り抜けていくのです。
物語の結末では、取巻き共に裏切られた破文が暗渠への逃走に失敗し捕らえられます。破文が逃げ込もうとした暗渠には智徳の白原たちがいるとされていましたが、最早彼等はそこにはいませんでした。智徳の白原たちは、破文を捕らえようと追手が都を出た隙に舞い戻って関所を閉じ、彼等が戻って来たところを一網打尽にして、齧っしの世界から悪徳を葬り去ったのでした。
今や巷での齧歯目への親しみある「喰む(ハム)神様」の呼びの由来は、実はこの神話の智徳の白原であることはあまり知られていません。
「貪戻と蛮行」「固陋の民」制作ノート
古代「暗渠への逃走」は当然ながら齧っし語により記されており、また極めて高度且つ難解な言語であるが故、その翻訳は困難を極める。古代齧っし語には口語と文語の違いはなく、まずその点に於いて直訳を余儀なくされる場合が多い。歌詞についても古代齧っしに倣い、意訳や平易な表現は極力避けることとなった。
「暗渠への逃走」の物語の始めの部分にある「貪戻と蛮行」は、千草の名を持つうら若き齧っしによる退廃した世への絶望と怒りを詠ったものだ。道徳的高潔さを失った大衆に強烈な批難を浴びせつつ、しかしながら「創世からの邪な習わしをどうして今やめられるだろう」と、どうしようもない怒りと共に自らも根源的にはそのような状況からは逃れ得ないことに苦しむ。千草は貪戻があらゆる狡猾な手段によってまかり通っており、それこそ容認できない野蛮であり無作法であると云う。そして「貪戻と蛮行によって支えられているお前らの安寧」との口調からは、無自覚にせよ結果的にそれらに加担している者への激しい嫌悪をも感じさせるのである。 遺されている文献から「暗渠への逃走」の内容の多くの部分は理解が進んでいるが、残念ながらこの千草がどのような立場の齧っしなのかについては判っていない。物語では千草が知徳の白原と出会う場面はなく、もしかすると「貪戻と蛮行」は、草莽の一齧っしの吐露としての描写だったのかもしれない。
「固陋の民」の詠は、破文とその仲間によって拐(かどわ)かされた智徳の白原の許嫁である貴美(きみ)が、智徳の白原と仲間たちに助けられた際のものだ。貴美は拘られた破落戸共が破文に僅かな金銭で雇われていたことや、白原を陥れようと仲間を装った偽旗工作が多数行われていたことを知り糾弾する。しかしこの詠を注意深く読むと、貴美が自身を襲った出来事をただ嘆くといった表面的なものに留まらないことがわかる。貴美はデタラメな世相はデタラメな民(固陋の民)に依るのだとその過程と構造を示し、まずは各々に「己を疑え」と述べる。確かに、己の判断を疑うことなく明るく積極的に秩序破壊やデタラメがなされては迷惑であるばかりか、危機をさえ招くことになりかねない。抑そうした慎重さがあればデタラメは回避され得るのであろうが、多くの場合、大衆は己の判断や考え方があらゆる洗脳に依るものと気付くことはなく、終に旗色が悪くなれば黙殺するだけである。そうした現実への貴美の絶望感は、この曲調によっても表されているように思う。
「固陋の民」には、副題として「reform to conserve」が制作側の意向で追記されている。当該はエドマンド・バークによる有名な一節でもあるが、これは翻訳として「固陋」を用いたことが、無条件に或いは徒らに新規に傾くことを善とするわけではないことを補完しておく必要があると考えられたためである。「暗渠への逃走」で描かれている世相は劣悪であり、異常事態が常態化していることに対する憂いが根底にある。智徳の白原の存在は齧っし本来の崇高さや道徳、その習慣(文化)を表しており、その意味に於いて因習を捨て去り新しきに向かうことは、実は復古だったのである。
ゲッシコンチェルト・苔埜
ゲッシコンチェルト & ザノベティムジクス
古の齧っし重奏を甦らせるゲッシコンチェルトと、さまざまな演奏家・ソリストを擁するザノベティムジクス(スチール・H・ザノベティ氏主催)は「暗渠への逃走 共同制作計画」により「固陋の民」及び「貪戻と蛮行」を制作・演奏しました。今後も物語の理解の進捗と共に制作が続けられていくことでしょう。
「暗渠への逃走」は原曲の存在の有無さえも不明の神話で、物語の大部分は伝承されてはいるものの譜面などは存在しません。復旧ではなく「無」から初めなくてはならなかったこの困難な作業は、双方の力強いチームワークによって、長期に渡り慎重に進められています。
スチール・H・ザノベティ
「貪戻と蛮行/固陋の民」無償ゲッシ版(m4aオーディオファイル)
↓
その他の補足・関連事項
お問い合わせフォーム:不具合のご報告、フアンレター等ご自由にどうぞ
なっちゃんと苔のサムロ:ゲッシコンチェルトの普段の一部を垣間見ることができます